2014年02月07日

能登の復興住宅

被災地NGO恊働センターです。

2013年の年末に当センターが事務局を担っているKOBE足湯隊の学生さんと共に能登半島を尋ねました。7年目を迎えた被災地、能登をレポートしていきたいと思います。
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「能登の復興住宅」

 能登半島地震からもうすぐ7年。仮設住宅が建設されていた跡地は、その形跡をほとんど残していない。初めて能登半島を訪れる大学生も一緒だが、この辺りに仮設住宅があって…、という説明をしてもなかなかすぐにはピンとこないようだ。

 少しだけ時間があったので、輪島市内の復興住宅を見に行った。輪島市内の復興住宅は3か所に建設され、いずれも戸建てタイプだ。2戸で一つの家になっているタイプだが、建設当時から色々な課題も指摘されていた。建屋の問題で言えば、入居当初から扉がうまく開かない、網戸がついていない、など設備の問題が住民から聞かれた。立地の問題も言われており、高台に建設されたためバスを使わなければ買い物が出来ない、周りに知り合いがいないため引きこもりがちになる、復興住宅はトビラが頑丈になって気軽に隣に声をかけて集まったりすることが出来なくなった…などである。こうした問題は今はどうなっているのだろうか。
復興住宅(能登レポート5).jpg
▲輪島市の復興住宅

 その答えは、いまも同じ課題が残っているということである。その日の夜には足湯ボランティア活動をする上で非常にお世話になった元区長さんと住民の方と一緒に食事をさせていただいた。「仮設の頃は良かった、仮設の頃は楽しかった」と2人は口々に言う。ボランティアも来なくなり、隣の人との付き合いもやはり少なくなった。各復興住宅には集会所もないので集まる場所もない。中には復興住宅に移ってから亡くなられた方もおり、だんだんと知り合いが減っていくことがさみしいとおっしゃっていた。
 また、穴水町の復興住宅は集合住宅タイプのマンションだが、集会所が無く1階のロビーで集まるしかない。復興住宅に移って2年経ってから、ようやく落ち着いたという声も聞かれたそうだ。

 能登半島地震がきっかけでこうした問題が顕在化しているだけで、日本の地方都市が同じように抱える問題だと思う。東日本大震災の被災地も今後は同じような問題が噴出して来るだろう。7年が経ち、忘れ去られつつある能登の被災地だが、しっかりと目を向けていくことが大切だと改めて実感した。(頼政良太)
posted by 能登 at 16:19| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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